ほんとに申し訳ないくらい、看護師は恋バナで盛り上がっています!弁護するなら、これはストレス発散です。
慌ただしい現場である病院内でも、時として自分が気に入っている看護師にラブレターを送る方がおられると思うのです。そのラブレターを意中の人に読まれることを思いながら、「神様、どうかあの人に私の想いが伝わりますように、この恋が成就されますように!」という願いをしていることでしょう。自分の書いたラブレターによって、こちらの気持ちに気付いた相手との距離が縮まることを期待する一方で、何か取り返しのつかない所まで足を踏み入れたかのような心境になると思うのです。それは、「この気持ちを伝えても、相手がその気でなかった場合を思うと夜も眠れない、明日から○○さんに会うたびに、体が熱くなるくらいに恥ずかしくなってたまらないわ…」という不安な気持ちをも喚起させてしまうからです。こうしたことから、ラブレターを相手の元に届けるという行為は、いわば捨て身の弾丸のような行いであり、まさに当たって砕けろの精神でラブレターを送ったものの、自分の意思を伝えた結果次第で、心がボロボロになってしまうことも考慮しなければいけないのです。それでも、勇気ある行動によって自分の行く末に希望がもたらされる期待がある限り、たとえ、心臓がバクバクとしてしまう状況になりかねないと分かっていても行動せずにはいられなくなるのです。「この気持ちが伝わるのならば、この手紙を読んだあとのあなたの意思を尊重するわ、だから私があなたを好きだっていうことだけはしっかりと受け止めてほしいの」という意思さえも強固なものとしていくのです。
ある日のこと、親しい同僚から借りてきた本を読んでいる中で、ページの間から何か紙のようなものがひらりと下に落ちているのを目にしたときに、自分への恋文らしきものだということに気付いた瞬間、驚かずにはいられなくなることがあると思うのです。この恋文を見て、「ああ、自分にもついに春がやってきたのか」と思いに浸るのと同時に、「この子が自分のことを好きだなんて思わなかったよ、どうやって返事をしたらいいんだろう」と相手へ気持ちを伝えるのに逡巡してしまうことは無理もありません。このようにして、何気なく過ごしている日常の中で、突如として目を引く出来事に遭遇することはよくあることなのです。ラブレターをもらうことで、「ヒャッホー!俺にも人間的な魅力があるのか、俺、ひょっとしたらモテるんじゃね?明日合コンでもしようかなー♪」と良い気分になり、自信をあらわにしていくこともあるでしょう。